カメの魅力に気づいていない人が大多数という話
※ブログを更新したのは年明けですが記事の大半が年末に書いたものなので、そんな感じでお願いします。
1年前の今頃の僕はカメーロが死んでしまったということをくよくよ考えてしまい、何をしていても ”心ここにあらず” のような感じだった。
仕事をしていてもどこか頭の隅でカメーロのことをくよくよ考え、テレビを視ていても頭の中の3割弱はカメーロのことをくよくよ考え、誰かと話をしていても3分に1度はカメーロのことをくよくよ考えていた。
そんな感じで2018年の年末から年明け後も1ヶ月くらいはずるずると、考えても仕方のないことばかりをくよくよ考えて過ごしていた。
カメーロが家に来てから死んでしまうまで約1年半という短期間ではあったけれど、ちっちゃいベビーのときから自分の傍に置いて大切に育ててきたカメーロを失った僕の精神的ダメージは想像以上に大きかった。
一般人のカメ(半水棲ガメ)という生き物に対しての認識を想像してみると、言葉は悪いけれど多分 ”たかがカメ” 程度のものだろうと想像する。
種類は違えど少し前までは祭りになればミドリガメ(アカミミガメ)が ”カメ掬い” とかの出店で金魚と同等の扱いで流通されていた。
祭りで掬ったミドリガメのちっちゃいベビーが大きくなって手に負えなくなると、近所の川や池に簡単に捨てられてきた。
やっぱり一般的には犬や猫という哺乳類よりも、どうしても爬虫類のカメはペットとして軽く見られてしまい扱いも雑になると同時に、注がれる愛情も犬や猫と比べると希薄になりがちだ。
僕も以前は普通にその一般人の一人だったのだけれど、ひょんなことが切っ掛けでニホンイシガメを飼い始めたことから、僕は一般人ではなくなっていく。
カメの飼育は初めてだったこともあり、カメの不思議な生体や意外な行動等を発見する毎日が楽しかった。
カメは仕草一つとっても、とてつもなく愛らしく可愛らしい生き物だということを知り、どんどんのめり込んで ”カメ中心の生活” となった僕は完全に一般人ではなくなったのだ。
飼っていた一匹のカメが死んでしまって大の大人が泣き崩れたのだから、胸を張って一般人ではないと言えるのだ。
だんだん自分でも何を言っているのかわからなくなってきたけれど、もう少しだけ。
カメを可愛がって真剣に飼育している人間は、カメの意外な賢さや行動のおもしろさや仕草の可愛らしさ等、日々カメの魅力を発見する。
当然、カメを飼っていない人間はカメの魅力に気づける機会が極端に少ないので、一般的にはカメの魅力に気づいていない人間が多くなるのだ。
犬や猫のように触れ合うことで得られる喜びとかとはまた少し違い、カメとの拭えない距離感の中でリラックスした仕草や動作を見ているだけで飼い主は嬉しい。
例えば同じ部屋にいる僕のすぐ隣りにいる愛亀が、後ろ足をビロ~ンと伸ばして寛いでいる姿を眺めているだけで僕は幸せな気持ちになれる。
眺めているだけで幸せな気持ちにさせてくれる、そんなカメの魅力に気づけていない人のことを気の毒にすら感じる今日この頃である。
気持ち良さそうに寝てるメロンちゃん
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